恵信尼と親鸞山号お盆? 先祖供養 | 懸魚| 空と0?

 瓦懇志の外道性・・懸魚と法義相続?・・                 御遠忌テーマ?
    



     五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく
     外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり
     かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ
     天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす
                       【正像末和讃】

 親鸞は、多分上図の様なポスターを見たら、そう嘆いたと様な気がしてなりません。御遠忌を語って、真宗本廟が、念仏の根本道場であり、先人たちの願いを、同朋会運動の更なる発展を念じて、僧俗一体での修復工事が、「信心回復の運動」として、それぞれにとって「親鸞」とは何かを問い直す機縁としなければならない・・・・もっと大切な何かを忘れてやしないか?しっかりセイやそんな嘆きの声が聞こえてきませんか?。
 「近代教学」ではない「現代教学」がどこかに置き忘れていないだろうか?。名古屋教区にいおても、教化体制の見直しが、少しづつではあるが軌道にのりつつあります。それに魂(命)を入れなければ、単なる体制の仕組みを変えただけで終わってしまう。特定の教区人や熱心な僧侶だけに任せておけないのでは、全教区の僧俗一体となって、教化に取り組む必要があるのではないかと思う。それは従前の慣行とか習慣を脱皮した『新しき慣習の創造』と言うべきものではないだろうか?。この際、「念仏者が生まれる寺づくり」の名古屋教区の教化テーマの見直しまで踏み込んだ見直しが必要と思う。

 我々僧侶が、一般の人に接するのは、何と言っても「葬儀・先祖供養」等の儀式・儀礼ではないだろうか?。日本人は、「真宗門徒の外道性」あるいは、多重信仰等とインテリや外国人から、批判揶揄されるながらも、様々な宗教(行事)を、使い分けながら現在も多くの日本人は、生活している。

 およそ人類の歴史において、「昔からの決まり事」「しきたり」などと言われる慣行・慣例をが、人と人との結びつき共同生活をする根本指針となっって来た事も、認めない訳にはいかない、そうした事を抜きしては、生きられないのも、又事実ではないか?それは、仏教日本伝来以来、様々な歴史的経緯・経過を経て、日本の固有信仰と習合して「日本仏教」を形作った。亡くなった人を鎮魂畏怖(いふ)滅罪する日本人の固有霊魂観は、宗派や宗旨で、教理的教学的色な理由で説明解釈されているが、「葬儀仏教」とか「先祖供養」の仏教的な儀礼として慣習化され継承・伝承されてきた。そしてそれが、寺院経済(経営)を支える大きな柱でもある事は、紛れもない事実である。まずその事を率直に認める事から出発しようではないだろうか。

 他方無批判・無節操な慣習や習俗の中には、現代社会の中で、言われ無き差別と排除の原因にもなってきた歴史的事実も、無視できない。しかしながら、日本人が伝承してきた、全ての慣習や習俗を、単にそれは、教理的に何の理由も無いと言う理由だけで、全部を排斥・排除する論理も又、乱暴で我田引水ではないだろうか?。それに代わる「新しき慣習の創造」無くしては、バーミヤンの仏像を破壊した事と同次元になってしまうのではなかろうか?。
 『ヤスクニ』に見られる様に、日本の歴史において時々の権力者により、宗教を、民衆の管理の方法として政治的に利用してきた事も又事実である、明治以降の「神道」のみならず「仏教」も例外ではななかった。それは、今に残る「氏子制度」とか「檀家制度」として、現代の日本人にも脈々と受け継がれている。宗教が本来個人の精神的レベルの問題で、「家の宗教から個の自覚の宗教」と言いながら、意識する意識しないに関わらず、真宗僧侶の心の奥底では、「先祖代々受け継いできた家の宗教(宗旨)を変える事は、ご先祖に申し訳ない、悪い事だ」と言う、日本人の大多数深層心理に立脚した慣行・慣習に鑑みて、旦那寺は、粗末に扱われないとの前提条件下の言葉でしかないのでは、他方では先祖代々の旦那寺も大切にするが、地域共同体(氏子制度)の神社を守
っていく事に、何ら疑問も持たない日本人の心を、理解できないと言わざる得ない。

 よく檀信徒の皆様から、質問されます。「あの忌明け法要が、3ヶ月にわたると良い事ないと聞きましたが?・・」僧侶答えて謂く「それは49(始終苦が)3月(身に付く)と言う語呂合わせに過ぎないので、真宗の教えとは、全く関係のない、俗信・迷信である。」と・・・まあそれはそれで結構なのだが、一つ悲しいのは、庶民が、そうした素朴な疑問を、僧侶に問う心情・心意まで洞察して答えているのか?。そうでなければ、それは言葉だけの答えになってしまっているのではないだろうか?。又質問されます。「真宗では位牌は用いないのですネ?」僧侶答えて謂く「位牌は、中国の儒者の間で用いられていたもので、個人の生前中の冠位と姓名を書き記した牌(ふだ)が位牌で、そこに神霊が宿ると信じられ、我が国固有の民俗信仰と習合して使用される様になった。だから真宗の教えとは無関係です・・・」続けて「名古屋では余り見ませんが、葬儀の時の木製の野位牌すら位牌だから、それを使う時には、紙に法名を毛筆で書いて野位牌の上に貼り付けて使用する。位牌は、単に、法名を書いた紙を立てる為の台として機能としている・・・」などとご門徒には、説明しています。

  こうした信仰に於ける「外道性」は、本山における建物にも見られるのではないだろうか?例えば、真宗本廟の「懸魚(げぎょ)とか六葉(ろくよう)」はどうなのか?。周知の通り、懸魚(げぎょ)は大陸から伝来し、火災から建物を守るために、火除けの呪(まじない)として取り付けたのが始まりとされている。懸魚は魚が転化した形で、その語意は「魚を懸(か)ける」を意味し、川や海(本願寺には、海人の飾りすらあると聞いている)や水と関連の深い魚と掛けて「水を掛ける」にも通じ【語呂合わせ】。つまり、水の代替えとして魚を屋根へ掛けて、降水による火伏せを祈る呪力(まじない)の呪符と言えるのでは、江戸時代には、一般庶民の民家には、禁止されたので、社寺仏閣が特別なステータス・シンボルの象徴にもなって来た。大きな木造建築に於いては、建築学的に棟木や桁の鼻を風化から守る役目がない訳ではないが・・・・コンクリート造りのあの『同朋会館』にも、ご丁寧に「懸魚」がある事ご存知でしたか。寺院建築の「意匠」だから、そう「ムキ」にならなくても良いのでは?。そんな声も無い訳ではないかも知れませんが、小生には、単なる言い訳にしか聞こえない。【49(始終苦が)3月(身に付く)と言う語呂合わせが非真宗的】と言い。【水と縁の切れない魚と掛けて「水を掛ける」にも通じる懸魚】は、単なる「意匠であり装飾」と言い訳は、先述した様に「49日忌明け??」を僧侶に問う素朴な心情・心意には、届かないと思う。庶民は、社寺の建物の様に、懸魚をつけられす、せめて愛宕神社の「お札」や秋葉山のお社を、台所の竈(かまど)に勧請して火防(ひぶ)せとしてきたのではないだろうか?

 位牌や火防せのお札を入れた仏檀の写真を、「お内仏」の説明には使用しないと思う。瓦懇志のパンフレット等に「懸魚や六葉」を無節操に使用している事は真宗の教義と論理矛盾しているのではないだろうか。

 両堂修復事業が、「信心回復の運動」として僧俗共に、本当の意味で自分の問題になしえているのか?教区教化体制の見直しの中で、色々な意味で「信心回復の運動」を問い直す試みが必要ではないでしょうか。
          
げ‐ぎょ【懸魚】 〔建〕(ゲンギョのンを表記しない形)  破風(ハフ)の拝(オガミ)の下、またその  左右に付ける装飾。棟木や桁の先端  を隠す。形により梅鉢懸魚・猪の目  懸魚・かぶら懸魚などがある。
〈CD-ROM広辞苑より〉引用
           
                       前に戻 【「浄信寺通信」】平成14年夏号より】転載